散歩道

週末散歩や備忘録

連れ合いがくも膜下出血に倒れる③

11月1週目ももうすぐ終わりますね。

 

実は明日から山口県へ旅行へ行く計画を1か月前からしておりました。

10月から発売された「どこでもドア切符」を利用して

GO TOトラベルも利用して、宿とレンタカーも予約済でした。

まだ、秋吉台に行ったことがなかったので楽しみでした。

来年は行けたらいいな。

 

2週目、

目覚めて、自発呼吸もできるようになった連れ合いは

この週にはようやく自分がどういう状況にあるのかを

少しずつ認識できてきたようだった。

相変わらず、言葉は出ないけど

こちらの言うことは理解できていて

手を握ったり、首を動かしたりして

意思表示を示すことができた。

 

週の半ばになってもうれしい事に合併症を起こすこともなかった。

 

この頃にICUから救急救命センター病棟という病室に移った。

最も危険な状態からはとりあえずは脱したということ。

 

病室を移動した翌日、私も荷物の運び込みのために入れてもらえた。

連れ合いと一緒の時を過ごせた。

声が出ないことを私に伝えようとしていた。

私の髪をそっと撫でて、ごめんねと言っているようだった。

 

看護師さんがタッチペンで文字が書けるタブレットを持ってきてくれた。

 

そこに文字を書き始める連れ合い

ゆっくりと、言葉を思い出しながら

 

「あいしたて はなせな」

 

これだけをやっと書いた。

 

私にもそばにいた看護師さんにも伝わった。

 

「愛してる。話せない。」

 

大丈夫、この人はきっとよくなる。

そう確信した。

 

ただ、気になったのは脳の腫れがなかなか引かないことと

左の血管が細くなっており、あまりに細くなると脳梗塞を起こす危険性があるため、週末の金曜日に再度検査をし、危険性が高くなっているようなら

カテーテル手術を行うとのこと。

 

緊張の日々はまだ続いていた。

 

そして金曜日。

 

検査終了の少し前に次女と私の長男とで病院へ

初日の大手術の日もこの3人で待っていた。

同じように、3人並んで待っていた。

 

出てきた連れ合いは、車いすに乗せられて

まっすぐに姿勢よく座っていた。

 

しっかりとした視線でこちらを見ていた。

 

少しの間、病室へ行く前のホールで私たちと過ごした。

 

次女が連れ合いの腕を握ると

 

「痛い、痛い」と小さく声を出した。

 

これが手術後初めての発声だった。

 

「声出てるよ!」

 

思わず私が小さく叫んだ。

 

それを聞きつけた、看護師さんが

驚いていた。

 

「やっぱりご家族さんの力は大きいね」

 

そう言っていただけた。

 

この日、主治医の先生は

連れ合いにも今までの経過や今後の事などを説明してくれた。

 

ゆっくりと冷静にCTの写真を見せながら

なぜ、こうなったのか

今どういう状況なのか

これから、どうするのか?

 

私たちにではなく、連れ合いに話してくれた。

 

真剣に話を聞いていた連れ合いは

先生の説明が終わるのを待って

右手をまっすぐ上に挙げた。

 

生徒が教師に質問をする時のように。

 

先生や看護師さんが驚きながら

 

「何か聞きたいことがあるのですね。どうぞ」

 

と言ってくれたが、言葉が出ない。

 

持参したノートとペンを渡した。

 

すぐに文字を書こうとするが、文字を思い出せず。

辛そうにペンを置いた。

 

この後、連れ合いは一般病棟へ病室を移動した。

 

危険とされた2週間を無事に経過できた。

 

ここからは、回復のための日々が始まる。